HOME > 歌協と栃木について 歌麿と栃木について 江戸時代、栃木の街は巴波川(うずまがわ)の舟運で、米、酒、醤油、材木などをあつかう商業都市として繁栄しました。 有力商人は栃木と江戸、両地に屋敷を構えていました。 この地には、江戸の経済人、文化人と積極的に交流していた記録が今も残されています。 歌麿もそのなかの一人だったのでしょう。 「歌麿と栃木散策絵図」より抜粋 神明宮栃木の地名はこの宮からとの発祥説がある。歌麿と同時期の江戸の文化人亀田鵬斎の石灯籠が境内に。奉献者名には栃木の商人たちの名が。 石灯籠 歌麿と栃木の狂歌師の接点 江戸に狂歌の文化が花開いた天明・寛政の時代。当時の江戸の狂歌本には数多くの栃木の狂歌師の名が残ります。 そして歌麿自身も「筆綾丸」の名で狂歌をたしなみました。 狂歌の絆は、栃木と江戸と歌麿の心を結んだ、そんな想像もふくらみます。 「歌麿と栃木散策絵図」より抜粋 ーHOMEー 更新日:2022年1月29日 author